カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

人にイライラする

スーパーに買い物に行くのが

とても嫌だ

買い物客は高齢者ばかりで

ごった返している

 

早朝か夜に行くと

空いているので

その時間を狙って行くと

 

ルフレジが閉まっている

 

速そうなレジに並ぶが

店員のレジだと

会話をしなければならない

 

「レジ袋はいりますか?」

「ポイントカードはお持ちですか?」

「キャンペーンのシールは集めてますか?」

「お支払いは一括でよろしいですか?」

「この商品はシールでよろしいですか?」

 

果物とティシュと、

飲み物を少し買っただけで

この会話である

 

ルフレジを開けておいてほしい

 

「会話したくない」というのも

鬱の症状だろうか

 

夜遅くまでバーベキューをしている

近隣にイライラするのも

鬱の症状なのだろうか

 

私の感覚でいうと普通のことなのだが

 

 

最近、イライラが多いと言ったら

エビリファイの薬を増やされたが

これを飲むと目眩がするので

飲むのをやめた

 

一人で静かにいられれば

薬なんかいらないのだ

 

この世界に適応するのに

薬を飲まなければならないなんて

 

この世界の方が間違っているのに?

 

ギックリ腰で死にたくなった

急にギックリ腰になった。

 

ギックリ腰というのは

急になるものだけど。

 

午前中は普通に歩けていたのに

午後立ち上がれなくなり

 

這いつくばって家の階段をのぼり

服を着替え

カバンに携帯と水をいれ

玄関前に停めてる車まで這っていき

なんとか運転席に乗った

 

ここまで1時間くらいかかった

 

圧迫骨折の可能性もあるし

救急車をよぶこともよぎったが

近所に知られるのは嫌だったので

なんとか自力で整形外科まで行った

 

立てないので院内では

車椅子を貸してもらった

 

レントゲンの結果、骨には異常がなく

座薬と湿布を処方され

様子をみることになった

 

「ギックリ腰かもね

救急車を呼ぶ人もいるんですよ」

と男性の医師は言った

 

さてはギックリ腰になったことないな?

 

痛みの分からない医師のようだ

 

そういえば心療内科の女医も

私が苦しんでいる症状を説明して

「わかります?」と聞いた時

「いや、わからん」と首を振った

 

ある意味、患者に共感しない医師は

医師に向いているともいえる

 

あまり共感しすぎて

痛みが解ってしまうと

自分がつらくなり

医師の仕事なんて続けていけないだろうから

 

的確な診断と薬の処方

これが医師の仕事だ

 

優しいヤブ医者より

共感力がなくても、

的確な診断をする医者のがいいに決まってる

 

こちらも医師には

期待していない

薬をもらうための中間役だ、

くらいに思っている

 

治すのは自分なのだ

 

病院に行ってから2日たったが

座薬が効いてきて

痛みがだいぶとれてきた

 

途中動けなさすぎて死にたくなったが

まだ生きている

 

いつか、動けなさすぎて

自分で終わらせることができなくなる前に

死んでおこうと改めて思った

 

包丁はまだ握れたので

安心できた

 

 

 

 

 

若さへの執着(醜形恐怖症)

最近ほうれい線が

直らなくなってきた

 

高齢の波に飲みこまれそうである

 

2年前、離島に働きに行ったときは

もっと若かった

遠目からみて20代に見えると言われた

 

近くで見ても30代に見られ

歳をいうと皆びっくりした

 

 

高齢者からは

「あんたも嫁に行かんにゃならんのに

こんな島にきて…」と言われた

 

いや、もう嫁に行って出戻ってきたんですけど。

 

 

何十年かぶりの

高校の同窓会で

「なんでそんなに変わらないの」

と言われた

 

 

決して美人ではない私の

ある意味アイデンティティでもあった若さ

 

それが崩れていきそうである

 

スーパーにいくと

高齢者ばかり。

街を歩いていても

高齢者ばかり。

テレビに映るのも

高齢者ばかり。

 

こわい

 

あの見た目がこわい

 

なんであんなに崩れるの

 

なんで生きていられるの?(失礼)

 

こわいこわい

 

早く死ななきゃ

 

崩れる前に

 

早く

 

 

 

 

 

(元)夫在宅ストレス症候群

離婚同居が始まってから4ヶ月がたとうとしている

 

距離感はずっと「元夫婦」で

家にいる時は、同じ部屋にいることはない

土日、元夫が家にいる時などは

ごはんを一緒に食べたり、食べに行ったりすることもある

 

ただ、むこうがどんどん

「私が家にいて家事をする」ことに慣れていき

シンクに自分の食べた分の食器を置きっぱなしにしたり

洗濯かごや、洗濯機の上に

自分の洗濯物を置いていくようになった

 

まぁ、私がついでに洗ってしまうのも悪いんだけど・・

 

冷蔵庫も一つだから、私が買ったものを食べたりする

 

逆に元夫が買ったものを飲んだり、使ったりもあるし

外食の時は全部払ってくれるので、

持ちつ持たれつ、というところか

 

車がないとコンビニにも行けない山の上に

住んでいるので、

私が外に用事がある時は、車を借りるため

元夫を駅まで送迎している

(私が家から出ない日は、駅近くの駐車場に停める)

 

私はロングスリーパーで長く寝ないと疲労がとれないのだが

元夫はショートスリーパーで3日くらい寝なくても仕事ができる脳なのだ

 

だからたいてい夜遅く帰ってきて、(23:30くらい)

それから軽く晩酌して、お風呂にはいって

翌日の朝は6時半に起きてでかける

そうすると送迎をした場合、私も5時間くらいしか寝られないのだ

 

駅まで送って家に帰ってから、また寝るのだが

この「いったん起きる」というのが脳に負担になっている

 

車はジムニーの新型を予約したが、

納車まで半年かかるかも、という

 

その間はマンスリーのレンタカーを借りようかと思っている

そうしないと脳疲労と、ストレスがたまる

元夫の行動によって、こちらの行動が決まるし

でかけるにしても、被らないように予定をきくのは

自由ではない

 

昨夜は朝まで飲んだらしく、帰ってこなかった

おかげで長く眠れてスッキリ

 

しかし、午前中に帰ってきて

「午後から会社いく」と言っていたのに

「やっぱり二日酔いだから行くのやめた」といって家にいる

 

元夫はクシャミや、生活音がでかい

それに、いちいちびっくりしてイラっとしてしまう

 

離婚する前は、復縁を望んでやまなかったのに

今は一緒の家にいるだけでストレスになっている

 

 

 

いつかは、この家を売る時がくるのだろうか

それとも、また元夫が東京に部屋を借りて

出ていくのだろうか

 

いずれにしても、元サヤはありえない

 

「死にたい人」と「生きたい人」をマッチング

以下は妄想です。

 

私のやりたい事業、

「楽に逝きたい人」と「病気だけど生きたい人」

のマッチング

 

もちろん、公にはできませんけども。

需要あると思う。

 

この国は毎年

災害や戦争レベルの自◯者がいる

 

だけどその中には、環境さえ整えば

死ななくてもいい人がいる

 

例えば、

この資本主義に合ってなくて働けない人

人と距離をおかないと苦しい人

時間をかけて治療すれば今すぐ死ななくてもいい人

 

こういう方たちは当方の自然豊かな環境施設で、

ゆっくりと自分らしく生活していただき

それぞれに合うセラピーを受ける

 

 

だけど

人生が終わったと感じる人

回復のみこみのない絶望の中にいる人

自分で逝く時を決めたい人

理由はともかく、逝く決心の固い人

などは、当方の施設で安楽に幇助します

 

そしてその体と、持っている資産などは

当施設に寄付していただきます

 

細胞から血液、臓器、資産を

「生きたい人」に提供します

 

遺された家族やペットの心配がある方には

そのケアまで。

 

亡くなられたあとは

きちんと供養します。

 

当施設はそういった運営に賛成される方の寄付でまかないます

 

そしたら

ある程度は

自◯者を減らせたり

 

ドナーが増えることで

生存率があがる人が

増えたりするんじゃないかなぁ

 

死刑になりたいからと

無差別に他害するような人も

いなくなるのでは・・・

 

いつでも逝けると思えば

心に支えができる人もいるんじゃないかな

 

以上、妄想でした。

 

 

 

 

自◯ほう助、または◯すことが究極の愛

オーストラリアに安楽死団体がある。

イグジット・インターナショナルだ。

https://exitinternational.net

(日本人も加入可能)

この団体は自◯ほう助マシーンの設計図をネットで

無料公開している。実に画期的だ。

 

オーストラリアは来年、安楽死が合法となる。

確実に時代は「死ぬ権利の獲得」の流れになってきている。

 

そのうち、

「普通の薬局で手に入る薬で、

安楽死薬が調合できる」レシピも

公開してくれるだろう。

 

日本で、最近

「妻に懇願されて、刺し殺す夫」の痛ましい事件があった。

想像することしかできないが

懇願されて妻を刺すなんて、

究極の愛がないとできないことだと思う。

 

薬があれば、適切な施設や支援があれば・・・

刺す、刺されるなどと痛みをともなわなくても

愛と、しばしの別れを心が納得するまで

確認する時間がもてたのでは・・と思う。

 

国や社会や法律はなかなかすぐには変えられない

保守的な日本には期待していない

 

アンテナを張り

エグジットインターナショナルのような団体をチェックしておいて

あと数年以内には、「安楽死の方法」の情報を手に入れておきたい

そして家族や愛する人達にも、その情報が必要であるならば

教えたり、支援したり、できるだけのことはしたい

 

「安らかに、死ぬときを自分で決めたい」というのは

個人の権利だと思うから・・・

 

 

 

 

 

離婚したのに世話をする必要ないよね

昨日に引き続き、グチになるんだけども。

いいよね、このブログは私の内面を包み隠さず

吐き出すためのもので

誰かに読まれることを前提として綴っていないのだから・・・

 

元夫と離婚同居し始めてから、早2ヶ月と少し。

もといた家に帰ってきたら、元夫が先に帰ってきてて

シェアハウスという形になってしまったんだけど。

 

私はまだ車を買っていないので、

元夫の車を日中借りている。

そのため、車を使う日(ほぼ毎日)は駅まで送迎している。

 

あと、家の掃除やゴミ出しや

調味料の補充、洗剤の補充、

消耗する日用品の購入

まぁこれくらいは自分も住んでいるから

やって当然かなとは思っている

 

だがしかし、

私が洗う前提で置かれるシンクの食器

私が洗濯する前提でおかれる洗濯物の山

(着替える回数が多く、私の3倍は洗濯物がある)

 

いや、いいよ

私も食器使うし、洗濯機使うから

ついでにやりますよ。

きれいになったら気持ちいいし。

 

そして

私がネットで購入するシャンプーと石鹸の消耗がはげしい・・・

安くないやつなんだけど・・・

 

「石鹸がおそろしく早くなくなるんだけど、

ゴシゴシやってるでしょ?」

ときくと

「使っていいって言ったじゃん」

と、少しムッとする

 

その他こまかいことは言いたくないが

今は無職で家にずっといる私の方が

買い物に行く頻度が高いため

わりと出費がかさむ

燃費の悪い車のガソリンも、しょっちゅう給油してる

 

 

 

土日のどちらかは、多忙な元夫が会社に行く

しかし今日と明日は仕事が一段落したらしく、ずっと家にいる

 

食材を買っておいたので、私がごはんを作る

「作ったんだけど食べる?」と声掛けして一緒に食べた

あまり好きじゃないメニューだったらしく

ぶつぶつ言い出す

 

「あ、これ、好きじゃなかったっけ」というと

即答で「うん」

 

そして、半分残し

しばらくしたあと

自分の食べるものを買いに出かけていった

 

 

先日は部屋のほこりを気にしていたから

元夫の毛布を洗って干して、掃除機をかけておいた

「えらい!」と言われたけど

内心「は・・・? えらいってなに

そこは、ありがとうでしょ」

 

 

つまりは私がやってあげてしまうのが、よくないんだよね

 

まぁ、時々つまみ作ったり

私の病院の送迎をしてくれたり

デザートを買ってくれたり

してくれるのは、ありがたいと思うんだけど。

 

基本、モラだから態度がでかいし

無意識に私を都合のいいように動かそうとする

 

さて、今夜は私は食欲がなくごはんを食べていない

あえてキッチンに行かなかった

 

元夫が自分の寝室へあがったので

キッチンを見に行くと、

飲んだ缶と、のみかけの麦茶のボトルがおきっぱなし

シンクは食器がかさなっていて洗われておらず

なくなったティッシュケースがそのまま放置

 

これが逆だったら

「缶はすぐ捨てなよ、ティッシュもなくなったら補充!

シンクの食器はすぐ洗わないと! 麦茶は冷蔵庫にいれないと!」と

言われていたケースである

 

今日、やつは家のこと一切せず

そのまま寝る気である

 

早く車を買って、

体調戻して、働いて

家にいる時間を少なくしなくては。