カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

2019年春はてなダイアリー終了にむけて

私が最初に記事を書き始めたのが

離島にいくすこし前からだから

2016年の秋かな

 

過去の嫌な出来事や

思っていることを

勝手に綴ってきたが

 

ブログにしたためることによって

自分の頭の中にあるモヤモヤが

かなり解消されてきた

 

外にアウトプットすることの恩恵を

すごく感じている

そして、ポツポツだが

読者さんもついて

ありがたいことに

スターをつけてくれている

 

ストレス発散できて

承認欲求も満たされて

うつ病治療に欠かせない存在になりつつある

 

ただ、このはてなダイアリー

来年、終了するという

 

http://d.hatena.ne.jp/hatenadiary/touch/20180830/blog_unify

 

 

はてなブログに移行すれば

今までの記事は消えないが

移行しなければ消滅するだろう

 

はたして

有料のはてなブログに移行してまで

残したい記事なのか…?

 

迷いどころである

 

2年積み上げてきた日記は

私のパーソナリティになりつつあって

それが消滅するのは悲しいかもしれない

 

しかし、嫌な思い出や過去のことに

執着したくない気持ちもある

 

いっそ、消滅したら

スッキリするのではないか

 

来年まで、ゆっくり考えるとしよう

 

 

不登校という言い方に違和感

今朝のアサイチで

不登校のことを取り上げていた

 

不登校の当事者やら

その親が出てきて

再現VTRを交えながら

番組は進行していった

 

学校に行きたくなくて辛かった子ども

学校に行かせようと励まし方を間違えていた親

実際に不登校だったコメンテーターなどが

色々コメントし

 

辛い気持ちを言えない子どもの気持ちに

気付こう、とか

受け入れよう、とか

言っていて

 

フリースクールに通えるようになった

子どもの楽しげな様子を映していた

 

だけど

不登校の「不」ってなに?

 

登校することが前提のような

登校することが当たり前かのような

登校することこそ、いい事のような

 

義務?

は?

 

勝手に決めんなや、と思う

 

私は小さい頃から

学校へ行く、行かないは

自分で決めるものだと思っていたし

(時々行かなかった)

 

校則や法律は

自分で決めたものじゃないから

守らなくてもいいと思ってたし

(人に迷惑はかけてはダメだと思っていたが)

 

なんか、たまたま日本に生まれてきたけど

私が生まれる前に決まっていた法律に

したがう意味はないと思っていた

 

だって、賛成も反対もする前から

決まっていたことに

なんで後から生まれてきた私が

従わないといけないの?

 

 

道徳心や理性はあったから

他人をいじめたりは絶対しなかったけど

先生が「校則を守りなさい」というのが

心底、訳分からなかった

 

万能じゃない、たかが人間の決めたことなんて

コロコロ変わるし

国によってちがう法律は絶対正義じゃない

 

だって戦時中は敵(人)を殺すことが

いいことだったわけで

そんなの愚の骨頂でしょ

 

私は、私が納得できないことはしない

私は、私がやりたいことをする

 

「不」登校という言葉に惑わされるな

 

行きたくないから行かない

の、なにが悪いのか

 

「親だから」

「人生の先輩だから」

という言葉にも惑わされるな

 

そんなの法律が変われば

何の意味も持たない

 

たかだか数十年、先に生まれてただけの人が

それだけで、偉いはずはない

 

師弟関係も上下関係もない

人と人とは本来、対等なのだ

 

むしろ、親より先生より

後から生まれてきた若い人の感覚の方が

これからの流れになっていく

 

自分の感覚で行動しないと

病むよ

 

 

ちなみに、

私は許していないのに

勝手に身体が老いていくのは何でだろう?

まじ意味不

 

 

 

 

 

 

 

 

迷いなき楽園

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「迷えるうさぎよ、

 おまえにスイッチを2つやろう」

 

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「赤いスイッチは全人類が一斉に滅び

緑のスイッチは自分一人だけ楽に逝けるのだが

よく考え

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…」

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瞬殺

 

 

 

 

 

 

ハロワに行った

認定日だったので

ハロワに行った

 

発行された手帳(精神障害3級)を

見せたら

求人登録の書き換えをしてくれた

 

これからは

うつ病をオープンにして

仕事を探していくことになった

 

担当者が親身になって

仕事への取り組み方、自助グループなどの紹介

薬や通院の頻度、通ってる病院、医師の名前

働く時に配慮してほしい症状などを

聞き取ってくれて

まるで、カウンセリングを受けている気分だった

 

心療内科の先生より親身だった

 

 

そしてやはり、小さい会社より

大きな会社の方が

仕事が分散されていて楽なのでは、

というようなアドバイスをしてくれた

 

私は

「聴覚過敏があり、臭いや人ごみが苦手で

接客も難しく、締め切りに追われるなどの

プレッシャーも厳しいので

決められたことを、たんたんとこなす

作業が 今は合っているかも」と

伝えた

 

それでOKな会社はあるのか?

 

「いてくれるだけでいいよ」

言ってくれるとこ、ないかな

 

いてくれるだけでいいよ=生きててもいいよ

だもんね

 

外資系の大手に応募となったら

都内に行かないと無理かなぁ

 

それ以前に

働けるのか…?

 

朝起きて

着替えて

化粧して

家を出れるのか?

 

 

選択を誤ると

また悪化するから

気をつけないと

 

でも

死ぬ前に一度、大きな会社で

働いてみるのもいいかも…

 

無理だったらまたやめて

やり直せるもんね

(採用されるつもりでいる)

 

 

 

 

 

 

雑誌 幇助 Hojo 創刊

以下は妄想の話です

 

 

表現の自由は素晴らしい

以前、「完全自殺マニュアル」がそうとう売れたが

今回満を持して「自◯幇助」の雑誌が創刊されました

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「Hojo創刊号」です

 

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最新記事や、安楽死マシーンの3Dプリンタ用

設計図を公開、ダウンロード方法記載

 

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センスよく逝くのが時代の最先端

いけてるロープ10選 紹介

 

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綴じ込み付録は

ラッ◯ン プロデュース

「くじらの遺書」

 

 

なんてね

 

表紙が、うさぎのモチーフなのは

うさぎは危ない目にあったとき

痛い思いをする前に自分で死ねる能力があるからです

 

丁寧に扱わないと

動物病院で獣医さんに触られただけで

恐怖を感じ、ぽっくり亡くなります

 

その能力、人間にもほしいところです

 

 

 

 

 

「死にたい」とは何か

人によって死にたい理由は

様々だろう

 

病苦により肉体を終わらせたい

生きていける場所がない

生きる意欲がない

絶望しかなく安らかに眠りたい

 

「死にたい」は

「死によって救われたい」なのだろう

 

 

話は変わるが

「死」とは何か

今月号のニュートンの表紙だ

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図書館に置いてあったので

とても興味深く読んだ

 

他にも、この世はホログラム説や

重力は本当は存在しない、や

ブラックホールの表面には情報が

書き込まれている(情報は消滅しない)

などの記事が面白かった

 

 

あの世はまだ科学で解明されていないが

輪廻や死後の世界があると仮定すれば

「死」とは、肉体から意識が離れ

別な場所にいく通過点に過ぎない

 

死んだら絶望は消えるのか

痛みや悲しみは消えるのか

 

とりあえず死んだら

働かなくても良さそうだけど…

 

面倒な肉体を維持しなくてもいいのだから

 

でも、もう少し

死んだふりして

この面倒な肉体にいてもいいかな、と思う

 

いよいよ、いれなくなったら

その時はその時だ