カサンドラは健忘症

離婚、そしてうつ病に。離島に流れてセカンドライフの健忘録です。

死にたい人にかける言葉はない

死にたいほどの絶望を経験して

 

本当に絶望している人には

どんな励ましの言葉も届かないんだな

ということが分かった

 

「親が悲しむよ」

 

そんなことは言われなくてもわかっている

逃げ場を失うような追い討ちの言葉である

励ましでもなんでもない

 

 

「もっと辛い人たちもいるよ」

 

不幸は比べるものではない

キャパが違うし種類も違う

不幸に陥った人は全身いっぱいで不幸の最中なのだ

他の人と比べてどうしろと?

 

 

「時間が解決するよ」

 

まぁ時間は流れるだろうけど

本当に解決するの?

無責任な言葉だ

うつ病になった人は動けないんだよ

働けないんだよ?

 

 

死にたい人を責める人は

その人の全人生に責任を持ってほしい

 

 

励ます方に悪意があるわけではない

本当に心配して、あれやこれや

自分が辛かった経験を乗り越えた時の話をしたり

共感や傾聴もしたり

 

 

でも今後、私の前に

「死にたい」という人が現れたら

私は何も言えない

 

 

目の前の人が、

本心で本当に「死にたい」と言うのなら

本当に死にたいと願っているのだ

私は何も言葉をかけられない

 

私のような未熟な人間には

人の生死について

 何も語れない

 

 

 

自殺幇助が許されている国は

成熟した国なんだろうと思う

 

死について語りつくし

死にたいという人を尊重し

楽にいかせてあげる

 

外国人も受け付けているというから

これからどんどん

自殺のツアーに行く人が増えるであろう

 

未成熟な我が国では

まだまだあり得ない話だ

 

死刑は許されているのに

自殺を幇助するのが許されないなんて不思議だ

 

 

自殺したい人の中には

解決法さえあれば死を選ばずにすむ人もいるんだろう

法律や福祉が介入して

なんとか生きられるような道があるはず

 

運良くセーフティネットに会えた人は助かるが

そういう情報を知らない人は

 苦渋の決断で死を選ぶ

 

死にたいほどに追い詰められたら

どんな解決法があるか

 

こういう情報を小・中学校などで教えてくれればいいのに、と思う

 

 

話がそれてしまった

元に戻すと

 

 

あらゆるセーフティネットで支えてもなお、

本当に死にたい人、死を切望している人を救うのは

「安らかな死」ではないのか、と思う

 

異論は認める