カサンドラは健忘症

離婚、そしてうつ病に。離島に流れてセカンドライフの健忘録です。

死ぬ場所を求めて旅に出た(前編)

離婚前からうつ病を発症し

命からがら実家に戻り

毎日どうやって死のうかと

布団の中でもがいていた

 

何もかも失い

荷物は着替えだけ。

 

住民票も移さず、

まだ離婚届も出してなく

身一つで、居場所のない実家に来たのだ

 

実家といっても、転勤族だった両親が

終の住処にと買ったマンションで

私の部屋はない

 

母の私物があふれてる和室に

布団を敷き、そこで過ごした

 

母に連れられて心療内科にいき

そこで「死にたい」と言ったため入院をすすめられた

重度のうつ病と判断されて「うちでは診れない」と

断られた

 

後日

両親と近隣に住む姉が、評判のいい心療内科を探してくれて

そこに行った。

そこでも私は泣きながら「死ぬしかないんです」と

言ったが、入院はすすめられず

薬を処方され

「まずは部屋を少し片付けたりするところから

やってみようか」と優しく話しかけてくれた

 

 

それから毎日、薬を飲み

少し散歩をし、母の料理を食べ

絶望の中で泣き、死ぬことを考えながら過ごし

 

住民票を移動し、

離婚届を出し、

自立支援医療制度の申請をし、

 

一年が過ぎた。

 

一年の間に、

歯医者に通い

皮膚科に通い

ストーカー被害にあって警察へ通い

また介護の資格を取るため学校にも通った

 

死ねなかったので

生きてしまった

 

親が、家を出て仕事を探して、と

自立を促すので

数社、企業で面接をしたが

落とされた

 

働く意欲もなかった

 

親は「部屋はこの近くで探しなさい」とか

「就職がきまって、慣れるまでは

うちから通ったら」と

私が出ていく前提で話す

 

家にずっといるわけにはいかない

そういう雰囲気をだした

 

決して口には出さないが

早く出て行って欲しいという気持ちが

伝わって来た

 

しかし働けない

 

私はある日、

青春18切符を買って

リュック1つ持って家を出た

 

死ねばいいんでしょ

 

私なんか

死ねばいいんだ

 

家にもいれない

働けもしない

 

死ぬしかないじゃないか

 

家で死ねないなら

外で死ぬ

旅先で死のう

 

どこか暖かい島にでも行って

安らかに死ぬんだ

 

苛立ちと少しの希望と

諦めと自暴自棄が入り混じった感情で

親に「ちょっと行ってくる」と一言残し

 

早朝、家を出た