カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

死に活

細胞が終わり始め

後は老いていくだけ

 

そろそろ死に活をせねば。

 

いわゆる経済的な「死活問題」とは違う

 

「死ぬ活動」だ。

 

 

死に活というのは

自殺より少しポジティブな

死の選択というのだろうか

 

病気になり、治療をせず

死ぬのをまつ消極的な死より

いつ、どこで人生に幕を閉じるかを

選ぶ積極的な逝き方だ。

 

海外で、ガンの患者が

安楽死を選び、ネットで騒がれていたが

 

家族ともきちんとお別れができ

身辺整理も心の準備もできる

理想的な死に方だ。

 

終活とはまたちがう。

残された家族のために

身辺整理したり、遺言を残したり、は

同じことができると思うが

 

「いつ死ぬか」を自分で決められることが

究極の個人の自由である

と思う

 

医者の処方箋をもらうように

普通に安楽死の薬を受け取りたい

 

いつ死ぬかを自分で決められると

人生も濃く生きられる

生き方と逝き方を個人で決められるのだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

50になったら死にたい

いま40代

 

もう夢も希望もない年頃

 

島のオジイとオバアの見守りや

介助をしているが

 

私自身、老いていくのは耐えられないので

50になったら

ポックリと死にたいものである

 

どうやって死ぬかは

これから考えに考えて

苦しまずに逝きたい

 

即身仏になってみてもいいけど

餓死するのは苦しそうであるし

死ぬまでに見つかってしまって

止められそうだ

 

「楽に死ねる方法」があってこそ

充実した生を生きていけるのだと

社会全体がそういう方向に進んでほしい

 

医師の処方で楽に死ねる権利

 

これが一番欲しいものである

 

生きるのに向いてない人を

無理に自立させ、働かせるのは

拷問や虐待に値する

 

病気や老いで

動けない人には…

 

いや、すべての人に

安楽死の選択権を!

 

 

 

 

 

寿命をあげたい

今月初旬まで、元気だった友人が

いきなり体が痛いと

言い出した。

 

ガンの末期だけど

全然実感ないよ、

ご飯も食べれてるし

ビールも飲んでる。

あちこち出かけてるしね。

 

なんてLINEで連絡くれてたのに

突然、ご飯をたべると痛いと言い

あまり返信もくれなくなった

 

心配で

ちょこっとLINEを送ると

「痛い」と一言と

辛い顔のマークが送られて来た

 

それから数日たって

緩和ケアのこととか

病院にいけてるか

心配でLINEした。

 

さっき返信がきた。

介護認定を受けているらしい。

トイレの周りに手すりを取り付けてもらう、と

あったが

一人暮らしの賃貸で、いつまで動けるのか。

県外の実家には母親が一人で暮らしている。

そこに帰ろうか少し迷っているとのことだった。

 

 

できれば、本当にできれば

私がかわってあげたい

 

親、兄弟、

飼ってたウサギ、

友人、

島の高齢者

 

周りのみんなに寿命をあげて

私が先に逝きたい

 

見送るのは嫌だ

 

 

 

 

高齢者の涙

夜勤明けで

郵便局に行ったら

見守り支援対象の認知症

おばあちゃんがきた。

 

認知症といっても普通に会話できるし

食事も自分で作って

シルバーカーも運転して

畑作業もしている方で

 

施設に世話になるほどではないので

島の人たちで見守っているのだ。

とくに今は旦那さんが検査入院で

島を離れているので

毎日誰かが家に訪問している。

 

そのおばあちゃんが

「いま下ろしたお金の入った袋を

どこかに落とした!」といって

駆け込んできたのだ。

 

数万円と通帳、印鑑をいれた大事な袋だ。

 

本人よりも周りが焦り、

郵便局の人、居合わせた私(時々訪問もしている)

看護師、近所の人らで

探し回った。

 

道中や部屋の中、外、

落としそうな場所、

置き忘れそうなところ、など。

 

10分くらい探したであろうか…

 

私が外にいた時に

部屋の中から「あったよ」という声がした。

 

あ〜よかった!

ホッとして部屋の中に入ると

看護師が「金庫の中に入れてたのよ」と。

「大事なものだもんね、金庫にいれるよね」と

見つかったことを喜び

そうか、探す選択肢が金庫というのもあるのね、と

一つ覚えた、と私も安堵した。

 

おばあちゃんも、ホッとしたであろうと

顔をみると、ポロポロ涙を流していた。

 

あれ、なんで…

 

表情は読めなかったが

嬉しくて泣いてるのではないのは分かった

 

 

 

一瞬困惑したが、かける言葉にまよい

「よかった、よかった、また来るね」

と肩にポンと手を触れ、部屋を出た。

 

おばあちゃんは、メガネを外し

なおも流れる涙をぬぐっていた。

 

自分の部屋に帰る道中

私もどんどん涙が出てきた。

なんの涙かわからない。

 

部屋に入ってからも

涙が止まらなかった。

 

 

 

 

 

希死念慮が消えない

今朝早くミーティングがあって

また帰って寝た

 

島は小さく

集落がかたまってて

どこに行くにも徒歩圏内

 

通勤1分だから

深夜や早朝にも仕事場に行ける

 

終電?ナニソレ

 

それはまぁいいのだけど

今日の曇天にはまいった

希死念慮が消えない

 

あぁ死にたい

 

 

部屋の本やらCDやらを

全部段ボールにいれた

処分方法は寄付

 

着払いで郵送できて

本を買い取ってくれて

その金額を寄付できるシステム

 

知り合いのバンドが作った

オリジナルCDがでてきた

自分用のジャケットにと

イラスト描いたんだった

 

こんなイラスト描くんだから

やっぱり昔から鬱傾向にあったんだろうな

 

 

早く死にたいものだ

 

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寂しい時に飲む薬

無性に寂しさを感じる時

心細い時にも

抗不安薬は役に立ってくれる

 

眠くなり、心がゆるく穏やかになり

寝逃げできる

 

さっきリフレックスを半錠飲んだ

 

もう眠たくなってきている

希死念慮も抑えられる

 

メールの返信がこないのも

気にならなくなる

 

 

仕事のまえは飲めないが

睡眠前なら飲めるし

眠りも深くていい

 

 

 

一緒に逝けたら

ガンサバイバーの友人から

LINEがきた

 

検査の結果、やはり肝臓に転移した

がん細胞がよくない影響をもたらし

1ヶ月後くらいには

あまり動けなくなると

医者から言われた、と。

 

「今のうち、出かけたいところに

どんどん出かけるよ。

すきなもの食べたりね」と

前向きなそぶりを見せているが

どれだけ心細いだろう

 

代われるものなら代わりたい

 

すぐにでも会いにいって

一緒に出かけたいところに行きたい

カフェでお茶したり

いろいろ話したり

 

動けなくなっても会いにいって

痛いところをさすったり

一緒に泣いたりして

そばにいてあげたい

 

涙が出る

 

一緒に逝きたい

 

なんで私は生きてるのだろう