カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

パニック障害 治し方

2015年、冬

 

夫とほとんど口をきかなくなり

夫からメールがこなくなり

駅まで車で迎えにいくこともなくなり

土日も出勤して家にいることがなくなり

 

どんどん私の心は凍りついていった

 

日中、強い不安で起き上がれなくなり、

食事を作ることができなくなり

食べられなくなり

どんどん痩せていった

 

ある夜中、

突然動悸がはげしくなり、目が覚めた

汗をびっしょりかいていて

起き上がっても動悸がはげしく

手の震えと、強い不安

「死ぬかも」という恐怖

 

思わず寝ている夫に声をかけたが起きない

 

10分ほど、布団のうえでオロオロしていたが

しばらくすると動悸がおさまった

 

その日から続けて3日、同じことがおきた

いわゆるパニック障害の発作だ

 

私はセラピストをやっていたので

お客さんに体や健康のアドバイスをしていた経験から

パニック障害という名前は知っていた

 

そして自分の体に起きたことは、自力で治すという

信念をもっている

(もちろん病院に行くが、治してもらうというよりは

自力で治すのに、病院に協力してもらうという意識だ)

今までに難治の病気にかかったことがあるが

苦労して治した経験もある

 

 

こんなやっかいな発作はもうおこってほしくない

どうやったら発作は起きないか

発作が起きた時に注意深く体の様子を観察した

長くなるので省略するが

以下の方法を試したら発作がピタリと治まった

 

・膀胱を空にしておく(こまめにトイレにいく)

・口が乾いていない状態にする(水の入ったコップを常に手元に)

腹式呼吸をする

・後頭部をもむ

 

後頭部をもんだときに、押して痛いと感じるツボや

なんとなく押すと手応えを感じるツボを

指で強く押し続ける

 

 

あれ以来、パニック障害の発作は起きていない

 

そして、うつ病はいま自力で治していこうとしている途中で

減薬を試みている

病院のない離島に来月から住む予定だから・・・

 

 

 

うつ病の思考

実家に帰ってからの生活はというと

なんとかトイレや食事をする以外は

寝込んでいるばかりだ

 

お風呂も、脱衣所までなんとか

這いつくばっていき

服を洗濯機にいれ

体を湯船につける

 

髪は2日に一回洗う

 

親が身の回りの世話をしてくれるので

なんとか生きていけている

 

どんな病気でも、経験した人しか辛さは解らないと思うが

 

うつ病の症状を例えるなら・・

インフルエンザで40度の熱がでたときに似ているだろうか

 

起き上がれなくても、無理やりトイレにはいける

だけどテレビを見るのはつらい

なにもせず、うんうん唸って寝込んでいる状態

食事はなんとか摂れるが味がわからない

眠りたいのに眠れない

もしくは薬の副作用で延々眠ってぼんやりする

頭が重くてしんどい

 

そして思考は「死にたい」という

希死念慮でいっぱいなのだ

 

そんな日々が延々続く

 

生きるのが怖い

早く死にたい

孤独で寂しい

動けない

 

もう死ぬしかないでしょう

 

この瞬間、いろんな苦しみに悶え

死にたいと思う人が

少しでも楽になれますように、と願う

生きていることは地獄でしかない

 

スマホうつ病の人の日記を

貪るように読んだ

 

このまま私はどうなるのだろう

ずっと寝込んだままなのか

 

起き上がれる気がしないし

ましてや、働くなんてできやしない

働く自分が想像できない

じゃあ、もう死ぬしかない

 

 

そんな思考がぐるぐるまわり

布団の中で、う〜んと唸る

 

どうして自分にこんな不幸が訪れたのか

これはなんの因果なのか、なんの罰なのか

私の人生の課題で、うつ病になる必要があったのか

 

いっそ早く死のう

死んだら地獄にいくのか

今が地獄なんだから、やっぱり死んだ方がいい

 

自殺を遂行できた人への憧れと尊敬

 

「あのとき死ななくてよかった」と

きっと、あとから思うよ

なんて記事を読んでも、私の人生はもう終わったし

そんな人ばかりじゃないだろう

やっぱり、あの時死んでおけばよかったと

思う人もいるはずである

 

死は全員に訪れる

ならば、早くきてほしい

自分で死ぬ勇気がないから

いっそ事故にでもあってくれないか

親不孝ついでに

親よりも早く死にたい

 

 

離婚、そしてうつ病に

私がうつ病になったのは 

2015年、冬

夫との不和は突然におとずれた

9年間同棲し、籍をいれてから6年

一生添い遂げるつもりでいたのに

ちょっとした不和から、夫の心が離れていった

 

私は復縁を願ったが、

しばらくして夫が「話しがある」と

突然にその時はきた

 

年末

リュックを背負って逃げるように実家へ帰った

夫は泣いていた

私はそれまでに受けた心の傷が重く、無表情でホームで別れた

 

元夫との離婚までのことは、別の機会に綴っていこうと思う

 

実家へ帰ってから絶望のあまり

布団の中で「死にたい、死にたい」を繰り返していた

 

もう人生は終わったのだ

愛する人を突然失うことになり

二人で買った家も、大切に乗っていた車も

飼っていたウサギも、庭の草木、思い出の写真

なにもかも置いて出たのだ

 

 

両親が心配して、私を心療内科につれていった

私はそこでも「死にたい」と言った

入院をすすめられたけれど断ったら

「うちでは診れない」といわれた

 

私は親に「病院へ行くのはもういい」と言った

死ぬつもりでいたのだ

方法はわからないけれど・・・

 

うつ病死に至る病だったらいいのに

勝手に死ぬことになればいいのに

なんで死なないの?こんなに苦しいのに

 

スマホで「死にたい」「死ぬ方法」と

検索しては、どうやって死のう

そればかり考えていた

 

大事なもの全て失い、

子供もいないし、これから生きていく理由もないし

もう終わりにしよう

 

実家はマンションの最上階だから

飛び降りれば確実に死ねる

でも勇気がでない

首をつろうか

どこで? どうやって?

みんなはどうやって死んでいるんだろう

死んでいった人たちが羨ましい

いま、死に至る病気にかかっている人と

変われるものなら変わってあげたい

 

ネットでは死にたい人があふれている

外国では自殺ほう助が法律でゆるされているところもあって

安楽死ができる

 

日本も安楽死を認めるべきだ

こんなに死にたい人がたくさんいるのに

死ぬ自由を認めるべきだ

 

眠るように死にたい

その切なる願いが早くかないますように

 

2つめの心療内科の先生にも

「死にたい」と言った

優しく傾聴してくれる男の先生だった

 

リフレックスドグマチール

頓服にデパス、リーゼなどの抗不安薬も処方された

 

うつ病の薬よりも、死ねる薬がほしい

毎日、「死」への願望がつのっていった