カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

仙人になるには

仙人のようになりたい、と

おもっていた時があった

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不老不死の「不老」の部分に

強い興味があった

 

老いてなお生きることに

今も恐怖を感じている

 

若い容姿を保つにはどうすればいいか

 

常々考えている

 

断食をしたり、瞑想やヨガ

などもしてみたり

 超少食を心がけている

 

容姿も若いままで
食べることも極力しないでいいなら

人間社会へ依存しなくていいし
幸福度があがるかもしれない

 

 

 

仙人は、道教の神らしい

ここのページに書いてあった

 http://scoby.blog.fc2.com/blog-entry-1100.html

 

もっとも頷けたのはこの言葉

 

自分を捨て欲を捨て、命さえも惜しまないというのは、
仏教の無常観と似たところがあります。ただし違うのは、
仏教では輪廻からの解脱が目的であるのに対して、道教の場合、
あくまでも生きたままこの世にとどまり、
仙界と人界を自在に行ききすることにあります。

これらの仙人は、いまだに雲の上を飛び回っているということですが、
その永劫にも近い時間は、自分という意識や我欲があっては、耐えることができないのです。

 

 

仙人は老いや病気では死なない

長く生きるのには

自分という意識があっては耐えられない

 

 

これは仙人ではなくても

人間でもそうだ

 

意識があっては、たとえ人間の数十年の

寿命ですら

この世は生きるのには耐えられない

 

 

自我をなくし

執着をなくすには

仙人になるような修業が

必要なのだ

 

 

 

 

自殺する子の多い日

今日から新学期

 

自殺する子が多い日らしい。

 

ネットやSNSでは「死なないで」という

ツイートが流れて話題になってるらしいが

 

具体的に「ここに逃げておいでよ」と

言ってる人はまだいいかもしれないが

 

死にたい子が「死なないで」と言われて

励まされることは少ないのではないか

 

励ましている人は

どの立場から言っているんだろう

安全な場所からの

圧倒的距離感を感じる

 

 

それならよっぽど

「死にたいよね」と共感してくれる人の

言葉の方が救われる

 

「死にたい人は私だけじゃないんだ」

 

まずはそこからだ

 

私が鬱病PTSDによる急性悲嘆反応で

起き上がれなかった時は

布団で「死にたい人のブログ」を

読み漁っていた

 

自助グループというのがあるが

それは同じ境遇同士、

自分の体験を話し

決して他者をせめず

他者にアドバイスせず

ただ聞くだけ

 

それで癒しがもたらされる

 

励ます行動は、むしろ

「あなたのやっていることは間違いだ」と

責め、追い詰める行動だ

 

「学校なんか行かなくてもいいんだよ」

という言葉の裏には

「学校は行くのが普通」という意思がある

 

「休みなさい」という言葉の裏には

「働いて社会復帰するのが普通」

という意味がある

 

 

誰にもコントロールされてはいけない

 

自分の行動は自分で決められる

親はまず、そう教えないと。

 

 

 

 

 

 

安楽死で死なせてください

いや、もう、

ホント、これ。

 

 

「いつ、どうやって、どこで死ぬか」を

自分で決めたいと

思う人が増えている時代なのだ

 

生まれる時は

無痛分娩や、帝王切開や

生まれる日にちを決めたり

コントロールできるんだから

 

死ぬ時だって

無痛で、安楽に

日にちを決めてもいいはず

 

自然の死を待つために

苦しませるのは

虐待行為だと

気付き始めたんだ

 

世界は安楽死へ向かっている

 

自分のことが自分でできなくなったら

死にたいと思ってあたりまえ

 

不治の病や、病苦に苛まれ

地獄の苦痛を味わうなら

死にたいと思うのが普通

 

 

賛否とか話し合う次元ではない

死は個人的なものだ

 

薬局に置いてある薬で

死ねるようにするべきだ

 

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ポックリと…

離島の住宅はみな

古くてボロボロだ。

 

とくに高齢者の家は

修繕のしようもなく、

台風がくれば、色々なものが飛んで行く

 

それでも、穴があけば板でふさぐし

暑い日差しは、日除けを張るし

段差ができればブロックを置いたり

その場しのぎで修繕して暮らしている

 

もちろん高齢者は自分で

暴風戸を閉めたりできないから

島の若い人たちマンパワー

助け合っている

 

昨日、ある高齢者の家の

天井の板が落ちてきた

 

相談されてすぐ駆けつけ

釘を打ち付け、新しい板を張り

数人がかりで天井を修理した

 

「落ちてきた板に当たらなくてよかったね」

みな、口々にそう言った

 

落ちた板は細長く、うすっぺらくて軽い

 

もし当たったとしても

「あ、痛」ですむような程度だろう

 

一人で住んでいる、その高齢のおばあさんは

ポツリと言った

「板があたってもよかった。

そしたらポックリ逝けるじゃろう?」

 

 

その場にいた島の人は

「なに言ってるの、まだ順番がきとらんよ」

「そんなこと、言うもんじゃないよ」と

口々に言ったが

 

 

私は「わかる…」という

言葉を飲み込んで

何も言えなかった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬ権利

例えば

自殺をしようとして

 

未遂に終わって死にきれなかったか

 

誰かに助けられたとかで

 

生き延びた人が

「あの時死ななくてよかった」と

言うことがある

 

 

だから

「生きてればきっといいことがある」

という、ほわっとした

説得力のない励ましの言葉が

未だに使われるのだ

 

 

 

でも

世の中には「生きること」に

適応しない人もいるのだと

理解してほしい

 

 

友人Jに

生きていくつらさや、

安楽死のことをいうと

 

やっぱり、ありきたりの

返答がかえってくる

 

何回かの問答のあと

わりと早く

「じゃあ死ねばいいじゃない」という

言葉がでてきた

 

私は「でしょ?」といった。

 

この世界には

この世界で

生きるのに向いてない人がいるのだ

 

ベルギーか、どこかの国では

「生きるのに向いてない」という理由で

安楽死が認められた例があるそうだ。

 

そこまでいくには、何人かの医師の診断が

必要だったと書いてあったが

 

 

そういう前例ができたのには

わずかながら希望がもてる

 

 

生きるのに向いてない人の選択肢が

自殺か、生き地獄しかないのは

野蛮ではないのか

 

相変わらず

若者の死因第1位は自殺だ

 毎年一定数の自殺者が出てくるのは

社会的に仕方がないことなんじゃないかと思う

 

救えると思うのはおこがましい

無理に生かされるというのも虐待になると

そろそろ気づいて欲しい

 

安らかに死を選べる社会が

倫理的に成熟した社会といえるのではないか

 

 

 

 

タバコを作ってみた

私はタバコは吸わない

いっとき、試しに吸ってみたことが

あったが

体にアレルギーがでて辞めた

 

小児ぜんそくだったし、

化学物質にアレルギーのでやすい体質なので

タバコの副流煙が苦手である

 

タバコを吸ってきた人が

同じ部屋に入ってきただけでも

あ、吸ってきたな、と分かるくらい

敏感である

 

だけど

友人Jがウチにきて吸っていたタバコは

煙くなかった

 

Jはタバコの葉っぱを自分で手巻きして

吸っていた

 

そのタバコは、たぶん

化学物質が入ってない

純粋なタバコの葉っぱなんだろう

 

 

私もハーブを使って

タバコを巻いてみた

 

ホワイトセージと

ペパーミントと、

長命草という草を乾燥させて

オリジナルブレンドのタバコを

作ってみた

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わりと、美味しい

これはいけた

煙くないしニコチンもない

 

タバコの先に火をつけて

一服する所作と

煙を吐くという行為が

少しストレスを軽減させてくれるような

 

鬱にもよさそうな気がする

 

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寂しさはどこから

時々ふっと寂しくなる

 

そんな時はこの

リーゼ

私の友達

 

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寂しい時、希死念慮が出た時

自律神経が乱れて寝付けない時

 

そんな時に一錠、口に放り込む

 

 

離婚して子供のいない私は

周りからすると少数派で

 

一般的には

寂しい部類に入るのだろう

 

例えば周りの人たちが

みんな独りだったら…

 

それでも寂しく感じるのかな

 

 

いろんな人と出会えば

薄まるのかな

 

 

いつか1年くらい、旅してみたいな