カサンドラは健忘症

離婚、そしてうつ病に。離島に流れてセカンドライフの健忘録です。

人類は絶滅した方が良い

島の高齢者の

住環境はひどく

 

子供はみな都会に出てしまい

誰も面倒をみない

一人、または老夫婦で

細々と暮らしている

 

隙間だらけのボロ屋なので

外気温とほぼ同じ室温

 

ゴミは捨てられない

風呂に入らない

破れた服を着る

病気になる

害虫だらけ

 

 

そういう人への介入は難しい

支援のサービスを拒否しがちなのだ

 

セルフネグレクト認知症の一部分で

判断力の衰えからきてるものだ

 

高齢者と関わるごとに

自分はこうなる前に早く死にたいと思う

これは当然の感情だと思う

 

外国でもいいから早く

高齢になる不安」が理由で

安楽死できる施設ができないものか

 

 

極端にいうと

もう人類は絶滅した方がよい

延命、出産が諸悪の根源だ

 

地球には

植物と、その葉や実を食べる生き物だけで

食物連鎖していけばいい

 

 

 

 

 

延命は虐待

昨年末から容態が悪化していた高齢者が

瀕死の状態で今月の3日、

船で運ばれ

本土の病院へ入院した

 

病院までもつか…

船の中で生き絶えるか…という状態で

痙攣もしていた

 

家族は遺影の準備をしていて

長くても2〜3日だと

誰もが覚悟をしていた

 

しかし入院して今日で12日目

点滴治療で、もっているという

 

発言はできないし

口から食べられないが

意識はあり、目で意思の疎通はあるという

 

点滴なしだと、1週間

口から食べず、点滴のみだと

3ヶ月は生きることができるという

 

家族は点滴を拒否すると言っていたが

なんらかの事情で拒否できなかったのだろう

 

死について誰も責任を負えないから

生かす方向で処置をするのだろう

 

楽に逝きたいなら

病院へ行ってはダメだ

 

点滴で水分を入れられたら

苦しみが長くなるだけだ

 

口から食べられなくなったら

自然に死を待つのが理想の死に方だ

餓死になるが、脳内麻薬がでて

楽に逝けるという

 

一見枯れたような肉体になるが

表情はやすらかなのだそうだ

 

 

死ぬ理由がなくなる場所

久々に島を散策した

 

知人に軽トラを借りて

カメラを持ってあちこち行った

 

マニュアルを運転するのも久々で

誰もいない山道を一人で走ると

少しワクワクした

 

途中、一台の車

一台のバイク、

一人の歩行者とすれ違ったが

 

みな顔見知りなので

笑顔で手を振って行きすぎた

 

そして山の木々を見たり

海の波を見たりして

佇んでいたら

 

希死念慮が消えている

 

仕事や仕事の人間関係から離れて

自然の中にいると

死にたい理由がなくなっている

 

 

治療の必要な病気がなくて

自然の中を旅して生きていければ

 

自ら死ぬ理由はなくなるのだな

 

人や社会から少し距離をおいた

暮らしを模索していこう

 

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看取りの時

事業所に

片麻痺高齢者がいて

先日、自分の夜勤中に

意識が低くなってドクターヘリに

運ばれた

 

高齢だから手術もできなくて

これ以上の処置はできないとして

 

10日ほどで退院して

島に戻って来たが

寝たきりの状態になっていた

 

以前のように

車椅子でトイレに行けないので

おしもの世話から

食事の介助、服薬の介助が必要になった

 

しかし水分はほとんど飲まない

食事も薬も拒否

発する言葉は「痛い!痛い!」のみ

 

糖尿や腎臓病もあるので

疼痛が以前からあったが

今は、せん妄状態になっていて

本当に痛いのか

幻覚なのかわからない

 

誰の夜勤の時に

容態が悪化するのか

もはやロシアンルーレット状態だ

 

家族は生きていて欲しいと思うかもしれないが

私がそのような状態になったら

いや、なる前から

安楽死を希望すると思う

 

高齢になった時の気持ちは

わからないが

生きていく意欲もほとんど見られないのに

延命は酷なのではないか

 

薬を拒否する姿や

水を吐き出してまで

飲むまいとするのを見ていると

 

自分がひどいことをしているんじゃないかと

思えてくる

もし安楽死の薬を持っていたら

その口に入れてしまうだろう

 

このような考えの私は

この仕事に向いていないのだろうか

 

まだ自分の中に

答えがでてきてはいない

 

 

心の自由

人を尊敬するのに

歳や性別などは関係ない

 

尊敬できる人は沢山いる

 

施設を利用している、

社会的には弱者である認知症高齢者からも

学ぶことは沢山あって

その笑顔に癒されることは

度々ある

 

私より歳上の人は、なによりも

死なずに生きているだけでも

尊敬してしまう

 

 

 

しかし、いくら仕事ができても

こちらを見下して

マウンティングしてくる人は

尊敬できないどころか

危険である

 (歳は関係ないけど15歳も年下の人が

人を見下しながら話してくるんだけど…)

 

 

 そういう人からは

全力で距離を置かねばならない

 

 

私はいつ死んでもいいと

常々思っているが

全力で守らないと

いけないと思うものがある

 

それは心の自由だ

 

私の心は

誰かにコントロールされるものではないし

罪悪感を埋め込まれてもいけない

 

それは時に

悪意のない言葉からでもだ

 

例え相手が

「こちらが悪かった」という風に

話していても

 

相手から「私が悪い」という前提が

垣間見えた時

どうやって自分の心を守ろう

 

 

私が悪い時は

私が自分の心で反省した時であって

他者が決めた時ではない

 

 

そういう人たちからは

物理的に距離を置かないとだめだ

 

やはり

もう、島にいる理由はなくなった

 

 

でも私は感謝して去りたい

 

人とは一定の距離を置かないといけないと

学ばせてくれたことに

 

 

 

 

 

死にたい、は普通の感覚

ずっと前にある知人に

「どうして子供作らないの?」と

聞かれたことがある

 

その人だけじゃなく

結婚しているのに子供がいない、というのは

不自然に見えるらしい

 

どこか体が悪いのかと勘ぐって

あえて聞かない人もいる

 

 

離婚して、島にきた時は

「失礼だけど、子供は?」

とみんな聞いて来た

 

子供を選択的に作らない、というのが

よっぽどマイノリティなんだなぁと思った

 

「子供作りなよ!」と会うたび言ってきた知人は

いま、娘さんの不登校に悩んでいる

その娘さんは自傷行為もあるらしく

死にたい、と言っているらしい

 

その娘さんの感覚こそが

普通だろう、と思う

こんな世の中で

死にたくならない人は

どこか脳の感度が麻痺してるのだ

 

子供を産みたい、という人に聞いてみたい

 

子供が障害をもったり

非行にはしったり

犯罪者になったり

浮浪者になったり

 

それでも責任をもって

最悪、働かなくても暮らしていけるくらいの

財力と覚悟があって

「死にたい」と言われた時それも

受け止められるのか?

 

その覚悟もなく、よく

この世に生み出せるよなぁと思う

 

 

私は自分の子が

少しでも苦しむのをみたくないし

義務教育だからといって

学校に通わせたり

働かせたり

人の世話をさせたり

させたくない

病気や老衰もさせたくない

 

 

だから、天国にずっといなさい

 私の子供よ

この世に来てはだめだよ

 

 

 

 

 

延命は正義ではない

島では体調を崩す人が

増えている

急に寒くなったからなのか

わからないが

 

高齢者が熱を出して

嘔吐して寝込んだ

 

看護師は

点滴を入れようとするが

高齢者の血管は細く

肌もたるんでいるため

うまく針が刺さらない

 

抗生剤を飲んで様子見となって

やれやれと思っていたら

 

他の認知症高齢者が

「死にたい!」と

パニックを起こして徘徊したり

 

また別の高齢者が、足が痛くて

一時、歩けなくなったと混乱して

延々と不安を訴えた

 

 

どこの介護の現場も似た状況は

起こっていることだろう

病院はもっと過酷で深刻な状態だろう

 

そして、介護士や看護師は

思っているだろう

 

「自分はこうなる前に死にたい」と。

 

 

延命は良いことではない

楽に逝ける医療が必要なのだ

 

長生きがいいことのような

風潮は止めろと言いたい

 

注射一本でさえ

打つかどうかは自分で決めたい

 

私が倒れてたら

そのまま逝かせてほしい

医療は勝手に介入するな、といいたい

 

そういうワッペンやシールないかな

「救急車は呼ばないで」「延命拒否」と

保険証にでも貼っておこうかな

 

今度自分で作ろう