カサンドラは健忘症

離婚、そしてうつ病に。離島に流れてセカンドライフの健忘録です。

私にできること

このブログは

心の中の毒を吐き出しているから

相当な闇ブログになってるけど…

 

こんな闇で真っ暗な記事を

読んでくださっている方がいる

 

どんなワード検索でアクセスしているのかは

調べてないからわからないけど

 

読んで、少しでも

助けになっているのかな

 

自分の毒を吐くために書いているから

人のために、なんて

思ってないけど…

 

私が生きている間は

微力ながら人のためになるようなことを

何かしたい

 

何ができるかな

 

 

お釈迦様は、苦しみを救えるのは

自分自身しかいないと説いている

 

他力本願ではなく、

執着を手放し

自分の中にある解決法を見出して行く

 

人生は苦しみなのなら

やはり、反出生主義は正しいのではないか

 

でも、もう生まれてしまって

苦しんでいる人が

大勢いるから

 

その人たちのために

何かしたい

 

何ができるかな

 

いつかフリーハグの旅に

出てみようかな

 

 

 

 

 

足に肉芽腫ができた

10日前くらいから

右足の親指の爪が痛くて

 

あ〜ばい菌が入ったかな

と思ってメンソレータム

塗っていた

 

靴を履くと痛むので

バンドエイドも貼っていた

 

しばらくして

まだ痛むので、よく見て見ると

ぷっくりと何やらできものが

爪のきわにできている

 

「爪  できもの」で検索してたら

肉芽腫の画像を発見した

まさしく、それと同じものができている

 

まじかよ

なんで、そんなものできるんだよ

 

肉芽腫の記事を読むと

「ほっとくと治った」というものから

「自然治癒はない、早く皮膚科へ」

というものまであり

悩んだ

 

ここは離島

皮膚科などない

 

仕事を休み、本州へ行くしかない

 

僻地は病気になれないのがネックである

 

今週も、ある老夫婦が病気のため、

この島から転出していくことになった

島は健康な人しか生きていけない

 

 

足の肉芽腫に対して

色々な薬を試してみた

 

メンソレータム→変化なし

 傷軟膏→変化なし

マイザー軟膏→変化なし

 

変化なしというか、どんどん

膨らんできた。

 毛細血管がふくらんでいるので

ちょっといじると血が滲む

 

 

アロエが効いた」という記事もあったので

道端に生えてたアロエをちぎって塗ってみた

 

ふくらんでいくのが止まった

血のにじみもなくなった

 

2日くらい

アロエの果肉を患部につけるため

バンドエイドも貼っていたのだが

 

患部がふやけてきた

 

肉芽腫は乾燥も必要なので

バンドエイドは、まずかった

 

これはいよいよ覚悟して

皮膚科に行くしかないのか

 

レーザーで焼くとか、切除とか

手遅れになると、壊死して切断とか

菌が脳髄に達すると死ぬとか

こわい記事もあって…

 

死ぬのはいいけど

それに至る過程が脳髄炎とか怖い

 

 

ふと思い立ち、

持っていたティートリーオイルを

数滴垂らした

 

翌日、あれ

少し縮んでいるように見えた

 

これはいけるかも

 

ティートリーオイルをぬって乾燥させる

というのを半日繰り返したら

やっぱり少し縮んでいる

 

「皮膚科を予約しておいて

治ってきたらキャンセルしよう」

と思い

島の小さな診療所(医者はいない)に

予約方法を聞きに行った

 

 

そこで

「これを塗ってみたら」といって処方されたのが

ゲンタシン軟膏

 

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ティートリーオイルと

ゲンタシン軟膏を交互に塗って様子を

みていたら

みるみるうちに肉芽腫が縮んでいった

 

これはいけるかも…

 

膿をはらんで、ぷっくりと1cmはあった

肉芽腫が、いまは4㎜くらいに縮んで

膿も消えていっている

 

このまま消えてくれ

 

同じように肉芽腫で怖い思いをしている人に

「ゲンタシン軟膏、効くよ」と言ってあげたい

 

 

 〈9月20日追記〉

ゲンタシン軟膏を塗り続けて

肉芽腫がどんどん小さくなってきた

毛細血管もなくなり、膿もなくなり

あとは膨らんだ細胞が

小さくなるのを待つだけになった。

痛みもない。

皮膚科には行かずにすみそうだ。

 

 

 

 

 

 

 

 

死ぬくらいなら何でもできるでしょという言葉が嫌い

女子高生が校舎から転落したと

ニュースで言っていた

 

それを見ていた周りの人が

うわぁ…かわいそうにと嘆いた

 

「どうしてかしらね

死ぬくらいなら、何でもできるでしょうに…」

と60代のおばさんが言った

 

どんなに歳を重ねて

いろんな経験をつんでも

死にたいと首にロープを巻いたことのない人には

死にたい気持ちが想像もつかないのだなと

思った

 

自殺撲滅運動をしているNPOなどがあるけど

 

本当は死にたくないけど死ぬしかない

という状況の人は救えることはあるかもしれない

 

でも、本当に死にたい人は死にたいんだよ

絶望したり病気になってまで

生きれるほど強くないんだよ

 

死ぬ機会を一時延期させても

苦しみが長引くだけ

「死ぬな」という言葉は無責任だ

 

 

今は私は、希死念慮はいったん

おさまってきているけど

 

これから筋肉が衰えて来て

老いや病気に苦しんだとき

死なないでいられるかは自信がない

 

 

 

 

 

仙人になるには

仙人のようになりたい、と

おもっていた時があった

 f:id:nanotherapica:20170907172620j:image

 

不老不死の「不老」の部分に

強い興味があった

 

老いてなお生きることに

今も恐怖を感じている

 

若い容姿を保つにはどうすればいいか

 

常々考えている

 

断食をしたり、瞑想やヨガ

などもしてみたり

 超少食を心がけている

 

容姿も若いままで
食べることも極力しないでいいなら

人間社会へ依存しなくていいし
幸福度があがるかもしれない

 

 

 

仙人は、道教の神らしい

ここのページに書いてあった

 http://scoby.blog.fc2.com/blog-entry-1100.html

 

もっとも頷けたのはこの言葉

 

自分を捨て欲を捨て、命さえも惜しまないというのは、
仏教の無常観と似たところがあります。ただし違うのは、
仏教では輪廻からの解脱が目的であるのに対して、道教の場合、
あくまでも生きたままこの世にとどまり、
仙界と人界を自在に行ききすることにあります。

これらの仙人は、いまだに雲の上を飛び回っているということですが、
その永劫にも近い時間は、自分という意識や我欲があっては、耐えることができないのです。

 

 

仙人は老いや病気では死なない

長く生きるのには

自分という意識があっては耐えられない

 

 

これは仙人ではなくても

人間でもそうだ

 

意識があっては、たとえ人間の数十年の

寿命ですら

この世は生きるのには耐えられない

 

 

自我をなくし

執着をなくすには

仙人になるような修業が

必要なのだ

 

 

 

 

自殺する子の多い日

今日から新学期

 

自殺する子が多い日らしい。

 

ネットやSNSでは「死なないで」という

ツイートが流れて話題になってるらしいが

 

具体的に「ここに逃げておいでよ」と

言ってる人はまだいいかもしれないが

 

死にたい子が「死なないで」と言われて

励まされることは少ないのではないか

 

励ましている人は

どの立場から言っているんだろう

安全な場所からの

圧倒的距離感を感じる

 

 

それならよっぽど

「死にたいよね」と共感してくれる人の

言葉の方が救われる

 

「死にたい人は私だけじゃないんだ」

 

まずはそこからだ

 

私が鬱病PTSDによる急性悲嘆反応で

起き上がれなかった時は

布団で「死にたい人のブログ」を

読み漁っていた

 

自助グループというのがあるが

それは同じ境遇同士、

自分の体験を話し

決して他者をせめず

他者にアドバイスせず

ただ聞くだけ

 

それで癒しがもたらされる

 

励ます行動は、むしろ

「あなたのやっていることは間違いだ」と

責め、追い詰める行動だ

 

「学校なんか行かなくてもいいんだよ」

という言葉の裏には

「学校は行くのが普通」という意思がある

 

「休みなさい」という言葉の裏には

「働いて社会復帰するのが普通」

という意味がある

 

 

誰にもコントロールされてはいけない

 

自分の行動は自分で決められる

親はまず、そう教えないと。

 

 

 

 

 

 

安楽死で死なせてください

いや、もう、

ホント、これ。

 

 

「いつ、どうやって、どこで死ぬか」を

自分で決めたいと

思う人が増えている時代なのだ

 

生まれる時は

無痛分娩や、帝王切開や

生まれる日にちを決めたり

コントロールできるんだから

 

死ぬ時だって

無痛で、安楽に

日にちを決めてもいいはず

 

自然の死を待つために

苦しませるのは

虐待行為だと

気付き始めたんだ

 

世界は安楽死へ向かっている

 

自分のことが自分でできなくなったら

死にたいと思ってあたりまえ

 

不治の病や、病苦に苛まれ

地獄の苦痛を味わうなら

死にたいと思うのが普通

 

 

賛否とか話し合う次元ではない

死は個人的なものだ

 

薬局に置いてある薬で

死ねるようにするべきだ

 

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ポックリと…

離島の住宅はみな

古くてボロボロだ。

 

とくに高齢者の家は

修繕のしようもなく、

台風がくれば、色々なものが飛んで行く

 

それでも、穴があけば板でふさぐし

暑い日差しは、日除けを張るし

段差ができればブロックを置いたり

その場しのぎで修繕して暮らしている

 

もちろん高齢者は自分で

暴風戸を閉めたりできないから

島の若い人たちマンパワー

助け合っている

 

昨日、ある高齢者の家の

天井の板が落ちてきた

 

相談されてすぐ駆けつけ

釘を打ち付け、新しい板を張り

数人がかりで天井を修理した

 

「落ちてきた板に当たらなくてよかったね」

みな、口々にそう言った

 

落ちた板は細長く、うすっぺらくて軽い

 

もし当たったとしても

「あ、痛」ですむような程度だろう

 

一人で住んでいる、その高齢のおばあさんは

ポツリと言った

「板があたってもよかった。

そしたらポックリ逝けるじゃろう?」

 

 

その場にいた島の人は

「なに言ってるの、まだ順番がきとらんよ」

「そんなこと、言うもんじゃないよ」と

口々に言ったが

 

 

私は「わかる…」という

言葉を飲み込んで

何も言えなかった