カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

日本も早く「安楽死」を

私には子供はいない

結婚した時は周りは子供を期待したようだが

私は小さい頃から、結婚も出産も

したくないと思っていたし

親にもそう言っていた。

 

このような野蛮な世の中に

自分の命より大切な子供を

生まれてこさすなんて、残酷だと思っていたし

子供の顔が見たいとかいうエゴだけで

産むにはとうてい育てにくい世の中であるから

「お子さんは?」と言われるたびに

そんなことをサラリと言う人は、

子供をもつことが当然で幸せなことと思えるくらい

この世に生まれて幸せなんだろうな、と思っていた。

 

「子供は産まないよ」というと、

「え?老後どうするの?」と言ってきた友人がいたが

びっくりである。

「自分の老後のために子供を産むの?」と

聞いてしまった。

 

すごくエゴなことを、当然のように言える感覚はすごい。

 

自分の世話をさせるために

子供をずっとそばにおき

不自由な思いをさせるのだろうか。

 

 

元夫はまた違う理由で子供は無理

と言っていた

 

結婚や子供は人生に成功した人のご褒美だから、

何も結果を残してないうちは結婚も無理、といっていた。

 

8年も同棲していたのだが

周りがうるさく、ついに籍だけいれた。

 

「俺がもっとすごい金持ちだったら

いったいどんな女と一緒にいたんだろうなー」

夫がほざいたセリフである。

 

モラハラアスペだから、自分の言った言葉が

どんなに人を傷つけるか分かっていない

 

夫のモラハラぶりは

また違うときに綴るとして

 

今回は、別に言いたいことがある。

国ははやく安楽死を導入すべきだ、ということ。

 

反対する理由がわからない。

安楽死を待ち望んでいる人はたくさんいるのに。

安らかに死ねるという安心があってこそ

苦しんで死ぬことへの不安がなくなり

人生を謳歌できるのではないか

 

 

ベルギーやオランダは昔から議論されていて

いまや未成年の自殺まで幇助が許されている。

 

海外の安楽死については他の方々がブログにしているので

私がここで言うのは割愛するが

 

国や政府にかぎらず、人々はみな

病気で苦しんでいる人に思いを馳せてほしい。

 いや、病気以外でも

ただ生きていることに苦しんでいる人たちもいる。

「安らかな死」は尊い救済の一つである。

もちろん死なずにすむなら別の救済法で助け合うのが

いいと思うが、

まぎれもなく「安らかな死」は救済の一つである。

 

楽に死ねる権利がある、ということを

国は認めてほしい。

 

日本はまだ夫婦別姓を許さないし

男尊女卑で女性の地位が低いし

あらゆる法律が古いままだ。

こんな日本では、子供を産みたくないだろう。

 

外国人も自殺ほう助してくれるところが

今の時点で一つだけあるが

そこにいくツアー客がどんどん増えるであろう。

日本にそのツアーの代理店ができるといいが

外国に行かずとも、国内で早く導入してほしいものだ。

 

私の夢はと聞かれたら

「身辺整理をして、友人に手紙をかき

数人にみとられながら安楽死を施されることだ」

と、普通にいえる世の中になりますように。

 

 

安楽死の署名サイトがある。

もちろん署名した。

この世論が広まりますように。

 

 

以下は署名サイトです。

 

https://www.change.org/p/%E8%80%83%E3%81%88%E4%B8%AD-%E7%A4%BE%E4%BC%9A%E7%9A%84%E3%81%AB%E7%9F%A5%E5%90%8D%E5%BA%A6-%E5%BD%B1%E9%9F%BF%E5%8A%9B%E3%81%AE%E3%81%82%E3%82%8B%E4%BA%BA%E7%89%A9-%E5%81%A5%E5%BA%B7%E3%81%AA%E4%BA%BA%E3%82%82%E5%90%AB%E3%82%81%E3%81%9F%E3%81%99%E3%81%B9%E3%81%A6%E3%81%AE%E6%88%90%E4%BA%BA%E3%81%AB-%E6%AD%BB%E3%81%AC%E6%A8%A9%E5%88%A9-right-to-die-%E3%81%AE%E6%8F%90%E6%A1%88%E3%82%92%E5%8F%97%E3%81%91%E5%85%A5%E3%82%8C%E3%81%A6%E6%AC%B2%E3%81%97%E3%81%84-%E6%B1%BA%E3%81%97%E3%81%A6%E6%AD%BB%E3%82%92%E5%8B%A7%E3%82%81%E3%82%8B%E3%82%82%E3%81%AE%E3%81%A7%E3%81%AF%E3%81%82%E3%82%8A%E3%81%BE%E3%81%9B%E3%82%93?recruiter=585919520&utm_source=share_petition&utm_medium=copylink

 

 

 

 

 

おっさん恐怖症

50代60代くらいで手足が太く、お腹もでっぱってるおっさんが総じて怖い。

 

だいたい太ってるおっさんというのは

お酒をよく飲みタバコを吸い

男尊女卑で

自分に甘く弱者にいばる傾向があると思う。

 

若い頃から、このおっさんという人種に

暴言をたびたび吐かれる。

私は顔が地味で華奢な体つきなので

弱々しく見えるらしい。

 

ある時タクシーに乗ると

「俺は反対方向に行きたいんじゃ、降りろ!」

と降ろされたことがある。

 

男性だったり、ある程度の年齢を重ねた女性相手だとこんなことは言わないのではないか。

若い女に「◯◯まで」と言われたことに腹がたったのか。

日頃のストレスがあってイライラしてたのか。

 

自分より弱そうな相手に暴言を吐くのは

理性のかけらもなく頭がわるい行動である。

 

タクシーで一万円しかなかった時も

「乗る前に言えや!」と暴言を吐かれたこともある。

 

バイクを盗まれて警察に行ったときは

「鍵もかけずにその辺置いといたんだろうが」

とおっさん警官に言われた時は

本当にびっくりするやら悔しいやら。

 

こんな暴言を吐かれるのは

私だけだろうか?

 

離婚のとき、財産分与の公正証書を作ろうと

公正役場にいったときは、声の大きい下品なおっさんで、始終タメ口の説教口調で

「なんだ、女でも作られたんか」と言われた。

 

タクシーも警官も役場も

およそ仕事中とは思えぬ口調と暴言

女を下に見ているのがありありとわかる。

 

今後できるだけ

おっさんという人種に関わりたくない。

 

中には品のいい人もいるが

決まって痩せている

 

電車で脚を広げて場所をとって座っていて

携帯で大声で話すおっさんは

必ず太っている。

 

関わり合いになりたくないのだが

私も歳を重ねてきて

そんなおっさんと年齢の差が縮まり

説教相手から

恋愛の対象に見られる心配がでてきた。

 

 

この前少しバイトをした時のオーナーも

太ったおっさんで

無理やりランチに連れていかれ

目の前でタバコをふかし

通りすがりに肩やら頭を触ってきたり

「週に一度くらい会ってごはん食べようや」と

言われたりした。

 

なんで週に一度会わなきゃいけない?

意味がわからない。

よく誘えるなぁと思う。

 

 

キッパリと断ったが

しつこく何回も

「寿司はどうや、だめか」と言われた。

 

前頭葉が萎縮してるのではないか。

 

そういえば面接の時に

「子供はいるのか」ときかれ

「いないです」と言ったら

 

「なんでや、できんかったんか」と言った。

 

面接と関係ないし、そんな暴言を吐く時点でもう

民度が低すぎて、軽蔑に値する。

 

 

元夫はよく「世界中の女、◯ねばいいのに」と

言っていたが

ほんとおっさんも◯んでほしい。

 

 

今後、関わることがありませんように。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

元夫はアスペルガー、私はカサンドラ症候群

元夫は、たぶん

ADHDアスペルガーのグレーゾーンだ。

そしてモラハラだ。

 

小さい頃多動気味で、口が悪く

よく先生に怒られていたという

 

本当に口が悪い

でも事実しか言わない

嘘がつけないのだ。

 

見たまま、人の容姿の感想を言う。

相手が誰であれ攻撃的に注意をする。

 

お店に入ると、店員に何を言い出すか

一緒にいる私はいつもビクビク

 

喧嘩をしたら、好きな相手によくここまで

ひどいことを言えるものだという言葉を

なげかける。

心をえぐる言葉を知っている。

言葉の暴力は心を殺す。

 

私は喧嘩のたびに、号泣した

近所に聞こえるくらいの大声で

泣き叫んだりもした

 

あるいは口がきけなくなったりもした

その横で夫がどなる

「なんとかいえよ!」と繰り返す

なんとか言いたいが声がでないのだ

 

たいてい翌日仲直りするのだが

私はなんで喧嘩したのか、何を言われたのか

いつも思い出せない

喧嘩はしたことは覚えているが、

何を言われたのかの記憶がすっぽりとない

 

私の脳が自分を守るために

記憶を抹消しているのだと思う

 

 

夫は私によく運転をさせた

そして逐一運転方法を注意する

基本、会話は私に注意するというスタンスだった

私は運転席で号泣し、涙で視界がみえなくて

運転を代わる、ということもあった

 

夫は店員にもよく注意していた

居酒屋で、もってくる順番が

自分の思ってたのと違うと、つきかえしたり

ビールがぬるいやら、泡がたってないとか

 

意識が高いのか相手に求める「こうあるべき」が

正論ではあるが厳しいものだった

 

電話での会話や、メール内容も注意された

話す順番が違うとか、この工程がなければメールが一度ですんだ、とか

関わり合うと、疲弊するのだ

 

君の成長のためだよ、

と夫は言う

私もむきになって自分の正当性を訴えるが

正論で論破されるのだ

 

ある時は、私のクローゼットから服が全部だされてあり、

捨てる服の山がつくられていたこともあった

 

かばんの中のものが全部だされていたこともあった

 

元夫はきれい好きで、私の片付けられない性分が

ものすごくストレスらしかった

 

相手にこうしてほしい、という要望の伝え方が

ストレートすぎて

受けるこちらは、

ひどいことをされた、と受け取ってしまう

 

元夫は周りのみんなから「ヒドイ」とよく

言われていた。

それでも魅力的で憎めないキャラクターで

有言実行で努力をおしまず、

人を笑わせようとしたり励ましたり

 

オシャレに気を使うし

友達も多く

みんなから好かれていたと思う

 

友達という距離感なら問題ないのだろう

 

恋人として妻として一緒にいると気が休まらず

いつも注意されることにどこか怯えていたと思う

一生のうちで、これだけ人から注意されることがあるのかと

そこまで私はだめな人間なのかと

 

それでも一生を添い遂げるパートナーだと思った

愛していたし、尊敬もしていた

 

離婚する前からの不和でうつ病になり、

蓄積されたモラハラによるPTSD

カサンドラ症候群、パニック障害

不安神経症、が私の症状としてあてはまるくらい

心は病んだけれど

 

 

今でも愛情はある。

何か助言してほしいことがあったら

連絡をとっている。

的確なアドバイスがいつも私を導いてくれて

私自身をよく理解してくれている大切な人だ

 

 

元夫は、もう遠くにいるけど

心のどこかにいつもいる人

になった

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

死にたい人にかける言葉はない

死にたいほどの絶望を経験して

 

本当に絶望している人には

どんな励ましの言葉も届かないんだな

ということが分かった

 

「親が悲しむよ」

 

そんなことは言われなくてもわかっている

逃げ場を失うような追い討ちの言葉である

励ましでもなんでもない

 

 

「もっと辛い人たちもいるよ」

 

不幸は比べるものではない

キャパが違うし種類も違う

不幸に陥った人は全身いっぱいで不幸の最中なのだ

他の人と比べてどうしろと?

 

 

「時間が解決するよ」

 

まぁ時間は流れるだろうけど

本当に解決するの?

無責任な言葉だ

うつ病になった人は動けないんだよ

働けないんだよ?

 

 

死にたい人を責める人は

その人の全人生に責任を持ってほしい

 

 

励ます方に悪意があるわけではない

本当に心配して、あれやこれや

自分が辛かった経験を乗り越えた時の話をしたり

共感や傾聴もしたり

 

 

でも今後、私の前に

「死にたい」という人が現れたら

私は何も言えない

 

 

目の前の人が、

本心で本当に「死にたい」と言うのなら

本当に死にたいと願っているのだ

私は何も言葉をかけられない

 

私のような未熟な人間には

人の生死について

 何も語れない

 

 

 

自殺幇助が許されている国は

成熟した国なんだろうと思う

 

死について語りつくし

死にたいという人を尊重し

楽にいかせてあげる

 

外国人も受け付けているというから

これからどんどん

自殺のツアーに行く人が増えるであろう

 

未成熟な我が国では

まだまだあり得ない話だ

 

死刑は許されているのに

自殺を幇助するのが許されないなんて不思議だ

 

 

自殺したい人の中には

解決法さえあれば死を選ばずにすむ人もいるんだろう

法律や福祉が介入して

なんとか生きられるような道があるはず

 

運良くセーフティネットに会えた人は助かるが

そういう情報を知らない人は

 苦渋の決断で死を選ぶ

 

死にたいほどに追い詰められたら

どんな解決法があるか

 

こういう情報を小・中学校などで教えてくれればいいのに、と思う

 

 

話がそれてしまった

元に戻すと

 

 

あらゆるセーフティネットで支えてもなお、

本当に死にたい人、死を切望している人を救うのは

「安らかな死」ではないのか、と思う

 

異論は認める

 

 

 

不幸をブログに

過去の不幸をブログを書くということで

その記事を読んだ方々が何かを思い、共有し、

不幸が、違う意味を持って

私の中から浄化されていく

 

嬉しいことを記事にし、読まれ

その喜びが共有されれば嬉しさは何倍にも広がり

 

不幸な経験を記事にすれば

誰かの教訓になったり

共感や同調されれば、感謝に変わることもある

 

 

過去に起こったことを浄化し癒すには、

何かに残す、誰かに話す、

ということがいいのだと思う

 

私が何もかも失い絶望のどん底だったとき

(今でも絶望中だが)

ネットで記事を読みあさり

癒しの言葉を探した。

 

 

 

乗り越えられない試練は与えられない、とかいうけど

私は、ただ死ねなかったから時間がすぎただけだ

死ねた人が羨ましい

今でも死への憧れがある

 

それでも下に記す言葉は、ネットでみつけた時

少なからず癒された瞬間だった。

 

 

「絶望したことがない人は、
高慢と不満とともに生き、
絶望したことがある人は、
深い感謝とともに生きることになる。
そして、最も幸せになる人は、
感謝とともに生きる人だ。」


「この世に変わらないものはない。
この絶望的と感じている状況も、
やがて必ず変わる。」

 

「どれだけ、自分がダメだと思っても、
もう無理だと思っても、最後の最後の、
本当に、最後まで、
諦めなければ、絶対に希望がある」

 

 

ふとした瞬間に、

もういいや、早く死にたい

と思う

うつ病の症状なのか

もともとの性質なのか

 

この体の中の私は死んだ

体は動いているが、他人が入っていて

私はそれを俯瞰で見ているだけ

これから起こる辛いこと苦しいことは

私ではない、と思うようになった

 

多重人格になりそうな思考だな・・

 

 

希望ってなんでしょう?

 

いつかこのブログが不幸ばかりでなく

読んだ人が嬉しくなるような

記事でうまりますように

 

不幸な出来事を経験しなくてもいい世の中になりますように

 

 

 

 

 

 

 

 

ストーカー対策 〜体験した話〜 ストーカーは警察へ

2015年、冬。

ストーカーにあった話をここに書き捨てる。

 

夫との距離が離れていき、

離婚がきまった。

その頃、短期でバイトをしていたので

そのバイトが終わり次第、実家へ帰ることになっていた。

 

そのバイトは、たった3人で

ある会社の空いている部屋で入力をするというものだった。

私以外は、男2人。

そのうち1人は、お昼は外にいってしまうため

私ともう1人の男が、オフィスの部屋で

お昼ごはんを食べながら、おしゃべりするというシチュエーションが続いた。

 

男(Aさん)は2歳下で、性格が暗く、もう1人の男の悪口を言ったり

ネガティブな発言ばかりするので

私は疲弊し、つとめて明るい話へ話題をそらしていた。

 

そのうち私のうつ病がどんどん悪化し、

Aさんとしか話さない日々が続いたためか

いつしか「離婚をするんだ」というプライベートなことまで話すようになった。

 

バイトの最終日が近づいたある日

Aさんから告白された。

うつ病だと働けないから、いつか自分と一緒に住まないか」

という内容だった。

Aさんは背が低く、髪の毛は親に切ってもらったのが伸びてボサボサ

100円均一で買ったダテメガネをかけていて、

人の悪口をいい、ネガティブな発言の多い性格なため

魅力を感じる要素が一つもなかったが、

私はかなり弱って寂しい思いをしていたため

LINEの交換をしてしまった。

 

告白も「ありがとう」と返し、

「実家に帰るので・・」と曖昧に濁したと思う

 

それから夫と別れ、実家に帰って

うつ病のどん底の布団の中で、

Aさんからの励ましのLINEを読んでいた

 

「死にたい、死にたい」という私にAさんは

こまめに返信をして励ましてくれた。

死にたい絶望の中、グリーフケアというのだろうか

「死んではだめだ、あなたはかけがえのない人だ」

というようなことを送ってきてくれていた。

その点は感謝すべきである、と今でも思う

 

 

関東圏から、関西へ帰ってきた私は

会える友達も周囲にいない、他に親しくLINEをする人もいないので

Aさんと毎日やりとりをしていた。

 

しばらくして

ようやく布団から起き上がれるようになった頃

ある資格を取るため、一ヶ月ほどスクールに通うことにした。

 

執着がどんどんひどくなってきたAさんは、

そのスクールに一緒に通うと言い出した

ウィークリーマンションを借りて通うのだ、と。

私は、こないで!と猛反対したが

「一緒に資格をとるって言いましたよね?」

と言ってきた

そんなこと一言もいってない。

 

Aさんはよく、私がこういった、と嘘の話をもちだしては

自分の都合のいいように解釈する

うつ病だから忘れているのだ、と私のせいにする

人間関係の築き方があまりにも幼稚なのだ

 

スクール名をあえて教えていなかったが

駅名を言ってしまっていたため

調べられて特定された。

私が猛反対したため、来なかったが

彼の名前で申し込みがされた形跡があった

(スクール初日、出席名簿に名前が書かれてあった)

 

 

それからも頻繁にLINEを送ってくるようになり

内容も薄気味悪くなってきた

 

私が捨てたクッションを

ゴミ箱から拾って、次のバイト先で

使っていいか聞いてきたり

不愉快な要請をしてきては

私が怒り気味で、断る返信をするということが増えてきた

Aさんは、まるで恋人気分で

いつかは私と一緒に暮らすという前提で

話すようになり

私はそれを否定することが続いた

 

私はこの関係を終わらせたかった

LINEでしか繋がっていないのだから

やりとりをやめたり、いつかはブロックすればいいのだと思っていた

 

私が返信をしなくなってからも

一方的に何十通も送ってきていた

 

そして会いに行くから住所を教えてと言い出すようになった

 

もちろん住所は教えていない

どのあたりに住んでるかは◯◯市、ということだけ

告げてあった

 

私はLINEを見るのもやめ、既読すらつけなかった

Aさんはそれに反比例するかのように

毎日どんどんLINEを送ってきた

 

私の名前をネットで検索し、見つけた他のSNSから

コンタクトをとろうとしてきたりもした

私はそのSNSを退会した

 

ある日、とても不愉快な内容のLINEがきたため

私は発作的にブロックしてしまった

そしたら「どうしてブロックするんですか」と

スマホにメッセージが届いた。

バイトをしている時に携帯番号を交換していたのだ。

「反省するから許してください」とひっきりなしに

メッセージが届いたので、着信拒否にしてそれもブロックした。

 

そしたらLINEのグループ招待機能をつかって(これはブロックできない)

LINEにまたメッセージが届いたが、

3日目からはこなくなったので、

もう私のことは諦めたのだ、これで開放された、と思った。

 

しかし彼は、私が通っていたスクールの最終日に

スクールが見える場所で待ち伏せていたのだ

関東から関西へ、わざわざバイトを休んで来たのだ

(スクールの場所やカリキュラムはネットで調べられていた)

 

待ち伏せていた、というのは後で知った

彼はその時私の姿を確認しただけだった

 

スクールを終え、家に戻ると親が

「Aさんという人が、わざわざ東京から来たわよ」

もらった土産を私にみせた。

お見舞いです、と菓子折りをもってきたのだ。

私は凍りついた。◯◯市だということしか知らないはずである

私の姿を見た、元気がなさそうだった、と言ったという

私の姿を待ち伏せて見たのに、声をかけず

実家に行き親に会ったのだ 

 

そういえば、数日前、知らない番号からの着信があった

出なかったのですぐ切れたがPHSの番号だった

今思えば、それはどこかの探偵事務所だと思う

Aさんから「旧姓を教えて」と言われた時に、教えてしまったので

PHSの着信基地から数m範囲のうちで、

私の旧姓の家を調べれば、探偵ならすぐわかるであろう

いくらか払ってまで家を調べたかったのだ

 

うつ病がひどく悪化した。

とても怖かった。LINEをブロックした相手に

実家を特定されてしまったのだ。

私は携帯番号を変えた。

 

 

それからAさんから、親と私あてに2通封書が届いたが

受取拒否にして送り返した

そしたら次から無記名で、ハガキが届くようになった

 

パソコンで印字された長文の内容はうつ病のお見舞いと、

どうしてブロックしたのかということと

私の世話をするようなことだったと思う

 

心療内科の先生にそのことを相談すると

「それは警察へ相談した方がいいね、今は

3通(電話や手紙)きたら警告してくれるよ」と

教えてくれた

 

今までの届いたハガキはびりびりに破いて捨てていたし

LINEやメッセージも全部消していたので

証拠がない

 

自分の身は自分で守るしかないのか

親も「内容がお見舞いだから、警察に言ってもムダでしょう」という

 

数日後またハガキが届いた

親あてには「わたしは悪者ではありません、ずっと励ましていたのです」

という内容

私には「うつ病の薬は性格をかえるから、変わってしまったのだ」

という内容だった

 

毎日気が狂いそうに苦しんだ

離婚してうつ病になって、どうしてまた

ストーカーで苦しむんだ

 

いったい私はどんな悪いことをして

このような罰をうけているのであろう

 

本当に心のそこから死のうと思った

死ねばストーカーに苦しまずにすむ

だけど親に迷惑がかかる

私が死んだあともハガキが延々届いたら・・・

 

私はAさんの携帯に思い切って非通知で電話し、留守電にメッセージをいれた

 

「鬱がひどくなるから、もうハガキをよこさないで」

 

数日後、またハガキが届いた

「私のハガキで鬱がひどくなるというのは

おかしな話です」

という内容の長文が親と私宛に2通

 

そして私は決意し、県の

ストーカー相談室へ電話した

そこは警察ではないけど、話の内容によっては

そこから警察へ通報してくれるという機関だ

 

今までの話を30分くらいかけて通話しただろうか

相手の女性は「この内容を警察へ通報しますので

もしかしたら警察から電話がかかってくるかもしれません」

とのことだった

 

その日の午後、県警の生活安全課から

私の携帯へ電話がかかってきた

ショッピングモールへでかけていたのだが

「今日、警察へこれますか?」と聞かれ

いったん家に戻り、証拠のハガキをもって

母親と一緒にタクシーで警察へむかった。

 

2時間くらい事情を聴取された

私は今までのやりとりのこと、離婚のことを含めて全部話した

生活安全課の担当の男性警察官2人は

丁寧に対応してくれた。

私も警察が話をきいてくれたのでずいぶんと

心が楽になった。これで苦しみを一人でかかえこまず

共有することができたのだ

 

そして私はまたAさんの留守電にメッセージをいれた

・次にハガキを送ってきたら警察へ通報するので送らないでください

・私のことは忘れてください

・LINEをブロックした理由

(内容が気味悪く怖くなっていったということをやんわりと)

 

それから2〜3週間後だったと思う

2015年、4月末頃

またハガキが届いた

1通、うつ病の薬についての副作用の内容だった

 

そして次の日に2通、親あてと私宛にまた届いた

親あてには「今度、うつ病について相談したいので

会いにいきます。◯◯さん(私)は同席していなくてもいいので

看病について、これからのことについて話をしましょう

いつがいいか日時を連絡ください」という内容だった

 

私あてには

「私のことをストーカーとして警察にいったそうですね

でも怒っていません。うつがひどくなっているようですね

こんな話をしたのを覚えてますか(某SNSで勝手に知った情報)

覚えていないようなら心配です」

 

 

・・・関わってはいけない相手と関わってしまったのだ

 

拒否してもくる手紙

義務のない面会を要請

 

この2つでもストーカー要件としてはアウトである

 

私はまた警察へ電話した

届いたハガキをもってきてください、とのことで

すぐに持っていった

 

警察へいくと、ハガキの写真、

ハガキを指差した私の写真を撮られた

そして私は「警告を要請」の書類にサインした

 

警告は早かった

2日後、警察から電話があった

「警察署にて、今後一切接触しないという書類にサインさせた」

という

 

Aさんは東京でバイトしていたが

近隣の実家に一時的に住んでいるのを

LINEのやりとりで知っていたので

その県の警察が実家までいき身柄をおさえ

(呼び出して出頭させたのだと思う)

サインをさせたそうだ

 

「念のため身の回りに注意し、戸締まりなど用心してください」

とのことだったが

それからピタリと接触がやんで

ほっと一安心している

親も「警察もよく動いてくたね」と言っている

 

ストーカーは申告しないと罪にならない

相談をかさね、証拠をとっておいたり

警察へ要請をしなければならない

(今回は警告なので罪には問われない)

 

警察の担当者にもよると思うが

きちんと対応してくれたのでよかった

両親の携帯番号や、同行した母の写真をとったり

何かあった時のために私の携帯から110番した時に

相談内容が表示されるようにしてくれた

時々、私の携帯に「また何か届いたり接触はありませんか?」

と連絡をいれてくれたりもする

 

 

何年か前、元彼がストーカーになって

職場にきたり、職場に電話してきたり

延々電話してきたり、家の周りをうろうろされたり

色々あったが 

その時、職場が引っ越しをしたり

私も引っ越しして携帯も変えたりして

あらゆる連絡法を断てたことでおわったが

 

私はストーカーにあいやすいタイプなのだろうか・・

 

 

元彼も、Aさんも、恨んではいない

心おだやかに暮らしているといいなと思う

 

今回のことでストーカー被害にあうという

業(カルマ)のようなものが終わったと思いたい

 

 

自分一人で悩まずに

相談する機関があれば相談し

共有して解決する、ということを学んだ

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ペットロス 死にたい・・・

実家に戻った2015年、年末

 

本当は飼っているウサギも

連れていくはずだった。

 

だけど、私のうつ状態がどんどんひどくなり

とても世話ができる状態ではないと思い

世話を元夫に託した。

 

最後に頭をなでた。

多分もう生きて会えないだろう、そう感じた。

 

ネザーランドドワーフのメスで8歳

まだまだ元気だけど、

多忙の夫のもとに残していくということは

こまめな世話ができない、ということだ

 

私の生きがいのウサギ

自分の命より大事だと思ったウサギ

 

月に一度、夫からのメールで

写真が送られてきた

その写真をみては、

 

少し痩せたんではないか、

日中、誰もいない部屋で寂しい思いをしているのではないか

大好きなリンゴ、毎日もらえてるのか

なでてもらえてるのか

心は安らいでいるのか

 

思いを馳せて泣いていた

 

 

 

2015年5月

元夫からメッセージがきた

「電話できる?」

 

年末、別れてから初めてだ

久しぶりに声をきくのがこわかったけど

「いいよ」と返した

 

 

電話がきた

「もしもし」元夫の声にわたしは

やはり泣いてしまった

涙声で「もしもし」というと

 

元夫も泣き出した

そして私は悟った

あぁ、わたしの生きがいだったウサギは

死んでしまったのだ・・・

 

 

しばらくの間、二人で泣いた

 

動物病院へつれていって、病院で亡くなったという

「ごめん・・・」といわれた

 

「ううん、病院へ連れていってくれてありがとう」

といった

 

 

元夫はいま東京にいる

そこから車で2時間かかるけど

2人と1羽で住んだ思い出の家の近くの林に

埋葬してくれた

 

写真が送られてきた

箱に丁寧に寝かされて、

花屋で買ったきれいな花束が散りばめられていた

 

たくさんの思い出をありがとう

私の愛したウサギはもういない

 

離婚して、うつ病になって

さらに大切なものもなくし

 

私はもういつ死んでもいい

 

いつ死んでもいいと思いながら

生きていくのだろうか

 

本当にもう

人生を終わりにしたい

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