カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

ピンチはチャンスという切り替えの早さが嫌

離島にいた時に、とある施設で働いていた

そこでは毎朝、朝礼がある

夜勤スタッフ、常勤スタッフ、パート、の

たいてい3人くらいで申し送りをする

 

昨日の報告、夜勤中の報告など一通り終わったら

「今日の徳目、○○さんからどうぞ」と言われる

 

そこで、ある冊子を開くのだが

「13の徳目」という月刊誌を知っているだろうか

知らない方は検索してほしい

 

企業が朝礼に使うと

社員が向上心をもって

仕事を前向きにこなせ、成長できると

推奨されている冊子なのだが

 

これは嫌いだった

 

まず「今日のありがとう」を言わねばならない

 

毎日そんなに感謝することないよ

何かイベントがあれば自然と

発言することが見つかるのだが

何もなく過ごした日でさえ

無理やり感謝するところを見つけて発言するのだ

 

そしてさらに、13項目のお題の中から

前向きな発言をしなければならなかった

 

例えば「笑顔」を選んだら

「地域の方と顔を合わす時は

笑顔を心がけていきたい」などと

思ってないことを発言する

 

例えば「責任」を選んだなら

「今日のイベント、みなさんの怪我がないよう

責任を持って行動したい」などと

 

偽善的なことを言わねばならないのだ

 

夜勤の日なんかは、とくに何もないので

発言に苦労する

 

例えば外部からクレームというか

指導があった時も、そのことに触れ

「言ってくれる周りの方に感謝したい」とか

「前向きに受け止めて成長できるよう努力します」などの言葉を期待される

 

前向きになるの、早すぎない?

 

まずは反省する時間も必要だし、

検証や分析、どうしてこうなったのか

落ち込んだ感情の持っていき所などを

よく咀嚼して

 

前向きになるのは、それからだ

 

 

問題が発生したときも

「ピンチはチャンスととらえ、どのように改善できるのか考え、努力し、そして行動します」

などと言わねばならない空気なのだ

 

 

ポジティブハラスメントだ

 

思ってもないのに言わされる

 

気持ち悪い

 

発言した言葉と自分の心が合わなくて

苦痛だった

 

例えていうなら、有名人が亡くなったとき

 

ファンや親しい人がコメントするけど

悲しい時によくコメントできるものだ

 

コメントできたとしても

「ありがとう」という言葉はびっくりする

 

亡くなって間もないのに

ありがとう?

 

そのコメント早すぎる!

 

まずは悲しみに浸る時間が必要だと思うんだけど

すぐ感謝できる切り替えの早さは

かえって軽薄な気がする