カサンドラはもうすぐ死にたい

離婚、そして適応障害、うつ病に。不幸な出来事を浄化するべくブログに綴ります。たいした記事ではありません。

不登校という言い方に違和感

今朝のアサイチで

不登校のことを取り上げていた

 

不登校の当事者やら

その親が出てきて

再現VTRを交えながら

番組は進行していった

 

学校に行きたくなくて辛かった子ども

学校に行かせようと励まし方を間違えていた親

実際に不登校だったコメンテーターなどが

色々コメントし

 

辛い気持ちを言えない子どもの気持ちに

気付こう、とか

受け入れよう、とか

言っていて

 

フリースクールに通えるようになった

子どもの楽しげな様子を映していた

 

だけど

不登校の「不」ってなに?

 

登校することが前提のような

登校することが当たり前かのような

登校することこそ、いい事のような

 

義務?

は?

 

勝手に決めんなや、と思う

 

私は小さい頃から

学校へ行く、行かないは

自分で決めるものだと思っていたし

(時々行かなかった)

 

校則や法律は

自分で決めたものじゃないから

守らなくてもいいと思ってたし

(人に迷惑はかけてはダメだと思っていたが)

 

なんか、たまたま日本に生まれてきたけど

私が生まれる前に決まっていた法律に

したがう意味はないと思っていた

 

だって、賛成も反対もする前から

決まっていたことに

なんで後から生まれてきた私が

従わないといけないの?

 

 

道徳心や理性はあったから

他人をいじめたりは絶対しなかったけど

先生が「校則を守りなさい」というのが

心底、訳分からなかった

 

万能じゃない、たかが人間の決めたことなんて

コロコロ変わるし

国によってちがう法律は絶対正義じゃない

 

だって戦時中は敵(人)を殺すことが

いいことだったわけで

そんなの愚の骨頂でしょ

 

私は、私が納得できないことはしない

私は、私がやりたいことをする

 

「不」登校という言葉に惑わされるな

 

行きたくないから行かない

の、なにが悪いのか

 

「親だから」

「人生の先輩だから」

という言葉にも惑わされるな

 

そんなの法律が変われば

何の意味も持たない

 

たかだか数十年、先に生まれてただけの人が

それだけで、偉いはずはない

 

師弟関係も上下関係もない

人と人とは本来、対等なのだ

 

むしろ、親より先生より

後から生まれてきた若い人の感覚の方が

これからの流れになっていく

 

自分の感覚で行動しないと

病むよ

 

 

ちなみに、

私は許していないのに

勝手に身体が老いていくのは何でだろう?

まじ意味不