最近思ってる事があって
LGBTについては
全く差別意識なく
そういう人たちが
差別されなくて
生きやすい世の中になれば
いいと思う
着たい服を着て
性別関係なく人を好きになり
一緒に暮らしたり
家族になったり
すればいいと思う
だけど不思議なのは
「性自認が違う」と
感じるいわゆる
トランスジェンダーという症状
極論だけど
もし地球に自分一人しかいなかったら
「私はこの体じゃおかしい!」
と思うだろうか
例えば性的対象は
生まれ持ってのもの、というのは分かる
だけど
「この体じゃない」という感覚
それは育つ環境によるもの、
後天的に発生する社会的な欲望なのでは
と思うのだ
サバンナで一人で暮らしていて
「体に違和感がある!」
といって手術するだろうか
老いが受け入れられず
若作りする人と同じなのでは?
そしたら
私は一応、女だけど
こんな胸はいらないし
お尻も小さい方がよかった
胸が邪魔だな、スリムになりたいな
なんなら男の体になってもいいな
筋肉もあって、
一人旅も危なくないし
と思っている私は
トランスに当てはまるんじゃないか?
いい年したおっさんが
性自認が女性だと主張し
女子トイレに入りたいとか
女湯に入れないのは差別だ、とか
言い出してるらしい
そんな事が許されるなら
なんなら、私は国自認が違うわよ
私は中身は
イギリス人の美少年なんです!
外見は日本女性だけど!
だからイギリス国籍もらえないのは
差別だ!
老いていく顔と体が
精神年齢と合ってません!
なんならもう人間に興味なくて
ウサギにしか興奮しませんわよ
と言ったら
何かしてくれます?
何が言いたいかというと
トランスジェンダーという症状は
環境によって
発症を防げる症状なのでは、と
自認ってなによ?
結局は外見への憧れ
好きな人から好かれない不満
周囲の人たちからの扱いの不満
なのでは?
若さも関係あるかな
ババアが
「私は本当はジジイなんです」
と言ってジジイになるべく
手術はしませんよね
(多分)
性自認が違うとかって
性的な欲望に、ルッキズムに
支配されすぎなのでは…?
他の病なんじゃない?
言い過ぎ?
*(個人の主観です)
思えば私は
性自認が多分中性で
昔からジェンダーレスな考えでした